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個人としての生き方に重きをおく

個人としての生き方に重きをおくより、「みんなと同じに大学へ行き、みんなと同じに結婚し、大多数の人と同じように子どもをもつことが安心」という心理の奥には、みんなと同じという場、一体感をくずしたくないという心理がある。みんなと違う生き方をすることで、場の均衡を乱したくないのである。一つの同じ場に入ることにより、感情的な一体感を共有することによって「批判」から身を守るのである。女性同士の場の構成と仲間意識は無意識に様々なところにあらわれている。たとえば熟年世代むけの女性誌の目次に「○○さんちの晩ごはん」というキャッチフレーズがある。「○○さんち」という言葉づかいは仲間意識と場構成を表現している。ちなみに○○さんは有名な女優であり、その女優と読者との一体感をつくり出すために、こうした表現をつくり出したのだろう。同じく今度は若い世代の女性誌では、「私たちが選ぶ春の服とバッグ」とある。「私たち」は編集部でありタレント、だがその中に読者もまきこんでしまおうとする一体感がある。青山にある自然食スーパーマーケットでは、「OOさんちの卵」「○○さんちのほうれん草」というネーミングのシールが貼られているものをしばしばみかけることがある。この店(場)に集まる「ヘルシー志向の人々」という仲問意識を感じさせ、思わずその場に入りたくなるような感情をくすぐる表現である。先述の二つのケースでは、「結婚した女」という場に入るために結婚を選んだわけだが、かといってまったく望まない結婚をしたのではない。いつかは結婚してもいいというバク然とした気持ちと、仕事をしやすい環境にしようという状況が後押ししたわけである。結果的には、場の中に入りながら、「自我を押し殺さない」という上手な適応を選択したともいえる。ただこれは、結果として場に適応できたということと、本人のパーソナリティーがうまくかみあったことで成立した状況であることを忘れてはならない。「みんなと一緒」の生き方に流されないために日本型「場の倫理」がそれに入りこめない女性の心に傷をつくることは、カウンセリングでしばしば目にすることなのである。女同士のつくる場に入れず、ストレスに悩む人はきわめて多い。職場で女性が次々と結婚してしまうと、未婚の女性はいたたまれない思いで職場を退職することがある。そんなことでと思われるかもしれないが、これも「場の均衡」を乱している自分をいたたまれなく感じてしまうためである。場の倫理から身を守るためには、それに対するだけの強い自我をもつ必要があるが、その自我の確立が不完全な場合、場に入りこめないことでストレスに陥る。九九年に音羽でおきだ幼稚園児の殺害事件は、原因として様々な推測がなされているが、最も大きな引き金となったのは、母親同士のつくる場に入れない孤独感ではないかと思われる。同じ年頃の子どもをもつ母親から新聞社に、人ごとではないという、八〇〇通以上のファックスやメールが送られてきたという。クリニックでもちょうどその頃、同じように母親同士の仲間の場に入れずに悩んでいた女性が、「私もカウンセリングを受けていなかったらあぶなかった」としていた。

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