明治5(1872)年、政府は、欧米の圧力に対抗するための人材選抜装置として学校制度を開設した。9月に公布された「学制」は、その中で「師範学校」を小学教則の内容とその教授法を教育して小学校教員を養成する機関として位置づけた(第39章)。また、文部省が示した「学制着手順序」においても、9項目のひとつに「速ニ師表学校ヲ興スヘキ事」が挙げられ、教員養成が急務であることが強調されている。近代的学校制度の整備には、そこで教える内容・方法を体得した教員が必要であり、ゆえに意図的かつ計画的な教員養成が緊要であると認識されたのである。学制公布後、まず着手された小学校では、「等級制」(6ヵ月ごとに進級。下等小学4年、上等小学4年)という編成がとられ、そこでは児童の進級・落第を決定するための定期試験が重視された。定期試験の及第者の数が担当教員の力量査定の基準であり、試験に合格する力を伝授することが教育であったのである。
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