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帰国後の問題

ゆっくり日本を懐かしがっている時間はなかった。まず住む所と仕事をさがさなければならない。母と同居することはできなかった。福祉の世話で入居しているところに転がり込むことはできない。私は1人っ子で親戚もほとんどなく、保証人がいない。仕事に関しては英語力で何とかなるだろうと心配はしていなかったがこれが甘かった。30年の開に日本の英語教育はすっかり変わっていて、受験参考書や教え方も前とは違っていた。英会話が盛んだったが講師の年齢制限にひっかかった。なお運の悪いことに私の英語はかなりつよい南部なまりがあった。面接ではよくそれを指摘され、年齢とのダブルパンチで職はなかなか見つからなかった。それでもなんとか子供相手の英会話教室のアルバイトを見つけたが生活は楽ではない。いまさら社会保険もなく、これから母と2人どうやって生活しようかと思案にくれる毎日だ。友達はそれぞれ重要な地位について、日本社会でしっかり根をはって生きていた。子どもはもちろん、孫のいる人たちもいる。母に孫を抱かせてあげられなかったことに対する引け目もあった。痴呆といっても完全にぼけているわけではないので事情はよくわかるようだった。私の仕事の不安定さ、家族のいないさみしさなどを考えるとわたしのアメリカでの30年は何だったのか。今ふり返って思う。